囚われは、まず使い切る
── 手放す前に、使いこなす段がある
気づいたら、それをやっていた
誰も口を開かない時間があって、気づいたら喋っていた。
資料に目を通していて、気づいたら直していた。頼まれてはいない。
誰かが困っているのを見て、気づいたら体が先に動いていた。
話がまとまりかけたのに、まだ引っかかっていて、まだ考えていた。
空気が固くなった瞬間、気づいたら間に入っていた。
どれも、やろうと決めてから始めていない。決める前に、もう動いている。
これを癖と呼ぶことにする。エニアグラムのタイプは、この癖の型のこと。9通りある。
昔ここで足りたから、いまも残っている
子どものころ、届きにくかったものがある。どのタイプにも、それぞれ違う一言がある。そのままで良いんだよ。あなたを必要としているよ。ちゃんと見ているよ。安全だよ。裏切ったりしないよ。どれが届きにくかったかで、育つ手が変わる。
届かないままでは困るので、自分でどうにかする手を作った。正しくやれば文句を言われない。役に立てば必要とされる。分かっていれば不意を突かれない。それぞれの埋め方がある。詳しい成り立ちは囚われの形成プロセスにある。
そのときの手が、いまも残っている。何十年も使ってきたので、いちばん速く出る。だから、決める前に動く。
楽だというのは、そういうこと。考えなくても振れる手が1本ある。
同じ手ばかり使うと、伸びすぎる
速く出るので、使うべきでない場面でも出る。直さなくていいものまで直す。頼まれていない場所まで手伝う。決まった話をまだ考えている。
これが囚われと呼ばれている状態。悪いものが新しく生えたのではなくて、同じ手が伸びすぎただけ。
だから、取り除く対象ではない。囚われも大事で書いたとおり、通っていないものは超えられない。
それでも、手放すより先にやることがある
囚われの話を知ると、多くの人はすぐ手放そうとする。順番が逆になっている。
使えていないものは、手放せない。
先にやるのは、自覚して使うこと。自分はこの手で動いている、と分かったうえで振る。同じ手を振るのだが、知りながら振る。
使えていると、終わったあとに何かが入る
自覚して振れるようになると、やり終えたときに入ってくるものがある。自分は正しくやれている。人の面倒を見られている。できるようになっている。力がある。自己価値と呼んでいるもので、タイプごとに中身が違う。
これが入ると、やった分が残る。次も振れる。
入ってこないと、いくらやっても軽くならない
同じだけ動いているのに、終わったあとに何も入ってこないことがある。
足りないから動いた場合、達成が足りているに変換されない。最初から足りないことを前提に組まれているので、埋まった状態を扱えるようになっていない。
動いてはいるが、入ってこない。手放す話をする前に、まずこちらを済ませたほうがいい。
並べると、こうなる
多くの人は1にいる。自分に癖があること自体を、まだ見ていない。
そこから2を通って3まで来られる人は、そんなに多くない。3まで来れば、基本的に困らない。自分の手を知っていて、それで動けて、動いた分が返ってくる。手放せていないことを気にする段ではない。
誤解のないように書いておくと、1にいることと、うまくいっていないことは別。自動で出る手は速いし、強い。足りないという感覚は大きな力になるので、1のまま社会的に成功している人はいくらでもいる。むしろ、その手で結果を出してきたからこそ、握りが固くなっている。
逆に、3まで来たから成果が出る、という話でもない。この段は、うまくいっているかどうかの順番ではない。違うのは、走った分が自分に返ってくるかどうかだけ。
まず、2に難関がある
自分の癖は、自分にとっての普通になっている。普通は内側から見えない。だから、気づくのは知識を入れたら即できる種類のものではない。
時間をかけて少しずつ獲得していくもので、年単位になる。スキルというより、視力をゆっくり育てていく感じに近い。
手がかりになるのは、あとから振り返ること。やり終えてから、あれは決める前に動いていたな、と分かる。それを何度か重ねるうちに、動いている最中に分かるようになる。最初から最中で分かろうとしなくていい。
最初の難関がここにある。ただ、いちばん難しいところではない。それは5にある。
使えるようになると、通じない場面に当たる
3まで来ると、その手が効かない場面に当たるようになる。正しさが実際には間違っていたと突きつけられる。尽くした相手から拒絶される。積み上げた成果が空虚だったと露呈する。タイプごとに、当たる場所が違う。
避けたい出来事なので、通らずに済むならそのほうがいい、と思える。ただ、一度も揺さぶられたことがない状態は、癖を超えた落ち着きではなく、癖がまだ発動していないだけかもしれない。環境が変わったり逆風が吹いたりすれば、一気に崩れる。自分の手が通じない現場を体で知らないと、通じないまま立っている方法も育たない。
これを自己価値が揺さぶられると呼んでいて、9タイプ分の一覧が向こうにある。
順番として、ここは3の後ろに来る。使えていない手は、通じない場面に当たりようがない。振っていないものは、外れない。
5には、終わりがない
揺さぶられて、それでも自分が残ると、手の扱いが変わる。振るかどうかを選べるようになっていく。降ろしておく、も選べるようになる。
いちばん難しいのは、ここ。一生できないかもしれない。
そして、終わりのある段ではない。
手放しきることは、たぶん起きない。何年やっても、握っている手はそのままだと思う。癖が消えて、何も残らない日は来ない。
それでもやる理由は、向きが変わるから。着かないことと、向いていないことは別。
同じ場所で握り続けているのと、握ったまま緩めるほうを向いているのとでは、通る道が違う。同じタイプでも状態によって別人のように見えることがあって、それを健全度という軸で見る。健全度が動くというのは、たぶんそういう意味になる。
これは達成する目標ではなく、歩き続ける方向のこと。
それでも目指す理由は、保証できない
ひとつ、正直に書いておく。5に近づくと幸せになるのか、うまくいくようになるのか。そこは保証できない。
1のまま力強く生きている人はいる。手を降ろせるようになったから生きやすくなる、という保証もない。降ろせる人が、降ろせない人より優れている、という話でもない。
それでも、複眼道場はあえてそちらを目指す立場を取っている。
得られるのは、選べる幅が増えること。同じ出来事を、いつもの角度以外からも見られるようになること。道場の名前にある複眼は、そういう意味で使っている。幸せでも成功でもない。ただ、その幅を豊かさと呼ぶ人がいてもいいだろう。
自分がどこにいるかは、自分で当てる
ここで段を判定はしない。判定を外から渡すと、当たっていても外れていても、自分で見る力が育たない。
手がかりはひとつだけ置いておく。やり終えたあとに、何か入ってくるか。
入ってくるなら、3にいる。動いているのに終わっても軽くならないなら、その手前にいる。そもそも動いた自覚がないなら、1にいる。
どれも悪い場所ではない。1を通っていない人は2に行けないし、3を通っていない人は5に行けない。
タイプごとに、中身が違う
ここまでは9タイプに共通する順番の話で、何が自動で出るかはタイプごとに違う。自分の行だけ見ればいい。
| 1 決める前に 動いていること | 3 使えていると 入ってくるもの | 入ってこないとき どう見えるか | 5 選べると できるようになること | |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 頼まれていないものを直しはじめている | 正しくやれている | 直し終わっても軽くならない。次の粗が目に入る | 手を止められる |
| 2 | 困っている人を見て、先に手が出ている | 人の面倒を見られている | 尽くしても、足りていない感じが残る | 自分の要求を出せる |
| 3 | この場で一番早く結果になる筋を探している | 際立っている | 出しても、次の未達成がすぐ立つ | 成果の無い時間に耐えられる |
| 4 | そこにしかない違いのほうを見ている | 自分だけのものがある | 作っても、これじゃない、で終わる | 完成させられる |
| 5 | その場で答えず、持ち帰って調べている | 分かっている | 調べても、まだ足りない気がする | 途中のものを人に見せられる |
| 6 | うまくいかない場合を先に数えている | 信頼に足りている | 備えても、不安が減らない | 自分で決めて動ける |
| 7 | 次の面白そうなほうへ話を移している | のびのびできている | 移っても、まだ物足りない | ひとつに留まれる |
| 8 | 誰が決めるのかを、はっきりさせにいっている | 力がある | 通しても、また試されている気がする | 人に任せられる |
| 9 | 角が立たない言い方に直している | 収まっている | 収めても、落ち着かない | 自分の意見を出せる |
3列目と4列目は、外から見ると同じ行動になる。違うのは、終わったあとに何か入ってくるかどうかだけ。同じことをやっている二人が、片方は積み上がっていて、片方は減っていく。
いちばん右の列は、目印にも使える。最近それができた場面があるかどうか。4なら、ちゃんと完成させたものが最近あるか。手前にいるあいだ、4は完成させられない。完成が妥協に見えるので、未完成のままのほうが安全になる。
この表を自分のタイプに開いたものが成長コンパスに出る。タイプ全体の見取り図は各タイプの地図にある。