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複眼道場

頼られたくない日がある
頼りがいの副作用

「頼りがいがあるね」と言われて、素直に嬉しい日と、なぜか胸の奥が重くなる日があります。後者の感覚に、名前と理屈を与えるのがこの記事です。先に結論を置くと──その感覚は、わがままではありません

頼りがいは、見た目に貼られる

頼りがいの評価は、実績だけから来るのではありません。大柄な体格。低く通る声。落ち着いた物腰。年長であること。役職があること。こうした条件は、本人が何も約束していないうちから「この人は頼れる」という読みを発生させます。

つまり頼りがいには、本人の同意なしに貼られる成分が含まれています。体が大きいだけで「受け止めてくれそう」と読まれた人は、受け止める役を、立候補した覚えのないまま割り当てられています。

頼られるとは、重さを預かること

「頼られるのはいいことだ」という通念があります。信頼の証であり、承認でもある。それは事実として、コストの側も見積もっておく必要があります。

頼られるとは、相手の重さを預かることです。相談を受ければ、相手の不安を預かる。仕事を任されれば、結果への期待を預かる。「あなたがいれば安心」と言われれば、その安心の維持費を預かる。預かりものは、預かっている間ずっと、手をふさぎます。

預かる力には個人差があり、同じ人でも日によって変わります。「頼られたくない日がある」のは、預かりものの倉庫がいっぱいの日がある、というだけのことです。

素顔と期待の不一致

とくに苦しくなりやすいのは、頼りがいの見た目と、素顔の設計が逆を向いている場合です。エニアグラムの言葉を借りると、たとえば囚われが強いときのタイプ9は波風を立てずに自分の静けさを守りたい傾向が出やすく、タイプ5は消耗を避けて自分の資源を守りたい傾向が出やすいとされます。そうした素顔の人が、体格や役職のせいで「みんなの受け止め役」を期待され続けると、期待に応えるたびに、素顔と違う筋肉を使うことになります

外からは順調に見えます。ちゃんと受け止めているからです。消耗は内側にだけ積もります。これが「頼られているのに、なぜか削れていく」の構造です。

降りる席がない

では、頼りがいの見た目と素顔が一致している人は無傷かというと、そうでもありません。一致している人の課題は、降りる席が用意されないことです。

「あの人は大丈夫」という読みは、疲れている日も迷っている日も止まりません。弱音を吐くと「らしくない」と驚かれる。相談する側に回ると、場が戸惑う。頼られる側の席にしか座れなくなっていく。一致は摩擦を減らしますが、像を固定します。鎧と素顔が近い人ほど、鎧を脱ぐ場面を意識して設計する必要があります(自分で着た鎧と、着せられた鎧)。

預かるものを選ぶ

打ち手は、頼られなくなることではありません。預かるものを選ぶことです。

全部の相談を受けない。期待のうち、応えるものと応えないものを分ける。「今日は預かれない」と言える相手を、少なくとも一人持つ。これらは冷たさではなく、燃費の設計です。倉庫が常に満杯の人は、いちばん預かってほしいものが来たときに、預かれません。選んで預かる人のほうが、長く頼れる人でいられます

「頼られたくない日がある」と認めることは、頼りがいの放棄ではありません。頼りがいを、持続可能な形に作り直すことです。

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