あだ名は、ふだんの姿しか写していない
「挑戦する人」で分かることと、分からないこと
「挑戦する人」「人を助ける人」「調べる人」。エニアグラムのタイプには、それぞれあだ名がついています。覚えやすいし、口にも出しやすい。ただ、この名前が写しているのは、そのタイプがふだんの状態で見せている姿です。開いているときの姿と、守りが強く出ているときの姿は、名前に入っていません。同じタイプでも、そこはほとんど別人になります。
あだ名は、9段階のうちの1つを指している
リソ&ハドソンは、各タイプに9段階の健全度を置きました。レベル1から3が健全、4から6が通常、7から9が不健全。9タイプ×9段階で、81通りの人物像が書かれています。
あだ名の多くは、このうちレベル4、つまり通常帯のいちばん上と重なります。タイプ1のレベル4の人物像は「理想主義の改革者」で、あだ名は「改革する人」。タイプ6のレベル4は「忠実な伝統主義者」で、あだ名は「忠実な人」。名前がそのまま載っています。
意図としてはそのとおりで、雑につけられているわけではありません。ほとんどの人が通常帯にいるので、いちばん多くの人に当たる高さを名前にしてある。ただ、それは9段階のうちの1つを指した名前だ、ということでもあります。残りの8段階には、名前がついていません。
この事情は、エニアグラムでタイプを数字で呼ぶ流儀の理由でもあります。言葉は解釈を引き連れてくるうえ、その言葉が拾っているのが囚われ時の一面なので、ラベルを貼ると幅が潰れる。そのあたりはなぜ数字で呼ぶのかに書きました。この記事で扱うのは、その先です。拾われていない上と下は、何なのか。
上と下は、名前がないだけで、そこにある
タイプ8を例にします。あだ名は「挑戦する人」。レベル4の人物像は「進取的な冒険者」で、場の力関係を読み、先に主導権を取り、守りたいもののために動く姿です。周りからは頼れる人に見えます。
守りが強く出ている場合、同じタイプ8の記述はこうなります。レベル7は「無情な無頼漢」、レベル9は「凶暴な破壊者」。傷つけられる前に先に潰しにいき、従わない相手を力で黙らせる。ここで押さえておきたいのは、これがタイプ8の特徴ではなく、囚われが強く出たときの姿だということです。
開いている場合はどうか。レベル3は「建設的な統率者」で、力を人のために使い、保護する側に回る。レベル1にいたっては「度量の広い人」と呼ばれ、その姿は「英雄的・自己の明け渡し。節度があり、真実に身を委ねる」と書かれています。支配されることをいちばん恐れるタイプの頂点が、自分から明け渡す姿になっている。
この3つを並べると、同じ人から出てくるものとは思えません。それでも全部タイプ8です。「挑戦する人」というあだ名が写しているのは、このうちのふだんの姿だけです。
上と下に、名前を置いてみる
名前がないと、上と下は話題にしにくくなります。そこで複眼道場では、上と下にも名前を置きました。あだ名を置き換えるものではありません。ふだんの姿の名前としてそのまま残したうえで、その上と下に、人に対して何をしている人なのかを足したものです。
| あだ名 | 健全 | 通常 | 不健全 |
|---|---|---|---|
| 改革する人 | 違うやり方を許せる人怒りを手放し、ありのままの世界の不完全さを許容する | 人のやり方を直す人怒りを「正しさ」にすり替えて縛る | 正しさでキレる人怒りを「絶対的な裁き」に変え、自他を際限なく断罪する |
| 人を助ける人 | 自分からも頼める人見返りの欲求を手放し、ただ純粋に愛と支援を注ぐ | 頼まれる前に助ける人寂しさを「おせっかい」で埋める | 恩を数えて聞かせる人寂しさから「恩着せがましさ」と「罪悪感」で相手を支配する |
| 達成する人 | 手柄を人に渡す人飾らない自分を認め、自身の目標達成力を他者のために使う | 勝ちにいく人素の感情を殺して「実績」でメッキする | 人の手柄を取る人素の自分を全否定し、虚像を維持するために他者も踏み台にする |
| 個性的な人 | 繕わなくていい人自分の痛みを表現や共感力に昇華し、他者の心に深く寄り添う | 分かる人とだけ話す人欠落感を「自分だけの特別感」に仕立てる | 誰も分からないと切る人欠落感に溺れ、「誰も私を理解できない」と悲劇の主人公として孤立する |
| 調べる人 | 一緒に考える人世界を恐れず、蓄積した知恵を現実社会に還元して参加する | 調べて、動かない人不安だから「頭の中」に引きこもる | 人を締め出す人不安から外界を完全遮断し、虚無的な頭の中に閉じこもる |
| 忠実な人 | 危ない役を引き受ける人不安を受け入れた上で、自らの内なる勇気を信じて歩みを進める | 念を押す人不安すぎて「ルールや仲間」に依存する | 仲間割れさせる人不安に飲み込まれ、敵味方で世界を分断してヒステリックに攻撃する |
| 熱中する人 | 最後まで一緒にやる人逃げるのをやめ、今ここにある現実に深く根差して喜びを味わう | 人を巻き込む人不安を多動で紛らわす | 痛くなる前に消える人不安から逃げ続け、刺激を食い散らかして焦燥感に苛まれる |
| 挑戦する人 | 負けを認められる人怒りを「弱者を守り、道を拓く力」に変換する | 人を仕切る人怒りで周囲を制圧する | 威圧する人怒りで周囲を破壊し、誰も寄せ付けない孤君になる |
| 平和をもたらす人 | 逃げずに間に入る人自分の怒りや欲求もテーブルに乗せ、本当の調和を創る | 人に合わせる人怒りを麻痺させてやり過ごす | 返事だけする人怒りを完全封印し、すべてを放置して「死んだふり」をする |
説明は早見表と同じ文です。9タイプ×3段を1枚で見たいときは、そちらのほうが速いです。
不健全の列は、そのタイプの特徴ではありません。囚われが強く出たときに、人へ向かう動きです。リソ&ハドソンはレベル7に「鉛の法則」というシグナルを置いていて、これは各タイプが他者を傷つける行動のパターンを指します。要は、自分がされたくないことを、人にやる動きです。タイプ5の根源的恐れは「無能だと思われること」ですが、守りが強く出た5は、人に対して、愚かで役に立たないと感じさせる側に回ります。タイプ2は愛されないことを恐れながら、人に、愛される値打ちがないと感じさせる側に回る。
ここを自分の状態だけで書くと、たとえば「こもる」「いじける」のようになって、周りが先に困っていることが見えなくなります。悪気がないことと、傷つけていないことは別の話なので、人に向かう分のほうを名前にしてあります。
並べて眺めると、もうひとつ見えるものがあります。タイプが9つに分かれることより、上下の差のほうが大きい。健全の列の9人は、タイプがばらばらでも、どの人とも仕事ができそうに見えます。不健全の列の9人は、どのタイプでもきつい。自分がどのタイプかより、いまどのあたりにいるかのほうが、周りには先に届きます。
逆に言うと、タイプの特徴がいちばん色濃く出るのは、真ん中の通常です。あだ名が通常の姿を写しているのは、怠慢ではなくて、そこがいちばん「そのタイプらしい」からでもあります。上に行くほど、どのタイプも自由で余裕のある、似た印象の人になっていきます。持ち物は残っているのに、です(この話は次の節で)。下に行くほど、周りがきつい、という一点でやはり似てきます。壊れ方の中身はタイプごとに違うままですが、受ける側の体験は近づいていく。タイプの見分けがつきやすいのは真ん中で、上下の端では、タイプより高さのほうが先に見えます。
健全な姿は、単独で読むとピンとこない
ここでいったん止まる人が多いところです。レベル1の「自己の明け渡し。節度があり、真実に身を委ねる」だけを取り出して読むと、タイプ8らしさが消えた姿に見えます。強く出るのをやめた人、力を手放した人。そう読むと、健全とは自分のタイプをやめることだ、という結論になります。
そう読むと外します。手がかりは「節度があり」のほうにあります。節度は、出せる力があって初めて成り立つ言葉です。力のない人が力を出さないのは、節度ではなくただの無力です。レベル1の記述が成立するのは、その人が守る力を持ったままでいるからです。
インテグラル理論では、これを超えて含むと言います。上の段は、そのタイプの持ち物を捨てた姿ではなく、持ったまま器が大きくなった姿です。だから健全なタイプ8は、守る力を失っていません。守る力を持ったうえで、自分が間違っていたら引ける。引けるのは、引いても負けないと分かっているからです。
ほかのタイプでも同じ形になります。健全なタイプ5は「参加する」と書かれますが、観察をやめたわけではありません。掴んだ仕組みを持ったまま、外に出ていく。健全なタイプ1は不完全なものを通せますが、基準を下げたわけではありません。基準は持ったまま、言うかどうかを選べるようになっている。
ここが、健全な姿がすごいところです。片方を捨てて楽になったのではなく、両方を同時に持てている。力と、引ける柔らかさ。観察と、参加。基準と、通す余裕。並び立たないはずのものが、同じ人の中で成立している。だから難しいし、だから時間がかかります。
逆に言えば、上に行くことは自分のタイプをやめることではありません。囚われを消すのではなく、使うか使わないかを自分で選べるようになること。持ち物はそのまま残ります。
あだ名の指す方向と、健全な状態の姿がずれることは、鎧を強みと呼ぶときでも扱っています。あだ名は「もっと強くコントロールする」の方向を指しますが、健全な8は「寛大で、脆さも見せられる」。あだ名を伸ばした先に健全があるわけではない、という話です。
あだ名の高さは、9つで揃っていない
もうひとつ、あだ名を扱うときに知っておくと楽になることがあります。9つのあだ名は、同じ高さを指していません。
タイプ9のあだ名は「平和をもたらす人」ですが、この記述に近いのはレベル3の「我慢強い調停者」のほうです。レベル4は「周りに順応して役割を演じる人」で、平和をもたらしてはいません。タイプ2の「人を助ける人」も似た方向で、レベル3の「人を育てる助力者」寄りです。
言葉の温度もばらついています。「忠実」「平和をもたらす」「助ける」「改革する」は、それだけで良い意味に読める言葉です。「調べる」「達成する」「熱中する」は、良いとも悪いとも言っていません。「個性的」にいたっては、日本語では遠回しな評価として使われることもあります。
| あだ名 | 構造上いちばん近い段 | 言葉の温度 |
|---|---|---|
| 改革する人 | レベル4「理想主義の改革者」 | やや良い意味に寄る |
| 調べる人 | レベル4「学究的な専門家」 | 中立 |
| 個性的な人 | レベル4「創造力に富んだ審美家」 | やや評価が混じる |
| 平和をもたらす人 | レベル3「我慢強い調停者」 | 良い意味に寄る |
ですから、あだ名どうしを見比べて、どのタイプが良さそうかを考えても、あまり意味がありません。比べているのは、そもそも違う高さの、温度も違う言葉です。
横に広げるより、縦を通す
あだ名がふだんの姿しか写していないと分かると、足りない分をどこで補うかという話になります。ここで、タイプを増やす方向に行きたくなることがあります。ひとつでは足りないなら、3つ束ねればいいのではないか、と。
その方向を複眼道場が採らない理由は、トライタイプを扱わない理由に書きました。短く言えば、記述を増やすと重なる面積は増えるものの、輪郭は薄くなります。しかも複数のタイプを重ねると、どのタイプの健全度の話なのかが決まらなくなる。
ふだんの姿しか写していないという弱点は、横に広げても解けません。解けるのは、縦を通したときです。1タイプに定まっていれば、そこに9段階を通して、いま自分がどのあたりにいるかを当てにいけます。
縦は、一回の出方では測れない
では、自分がどの高さにいるかをどう見るか。ここは急がないほうがいい部分です。健全度は、一点では測れません。線でしか見えないものだからです。
誰でも、疲れた日には下の姿が出ます。一度出たかどうかで決めると、ほとんどの人が不健全だという話になってしまう。見るとすれば、どのあたりに寄っているかと、戻りの速さのほうです。開いているときは、下に振れても浅くて、すぐ戻る。守りが強い時期は、頻繁に振れて、戻りが遅くなります。
その日どうだったかではなく、戻れたかどうか。この見方に切り替えると、自分を採点する材料が減って、観察する材料が増えます。不健全のサインも、自分を裁くためではなく、戻りが遅くなっていないかを確かめるために置いてあります。
看板と、中身
タイプが分かることは入り口で、あだ名はその入り口の看板です。看板があるのはありがたいことで、これがないと入り口の場所すら分かりません。
ただ、看板を読んだだけでは、中に入ったことにはなりません。「自分はタイプ8だった」で止まると、手に入るのは、ふだんの姿の一枚だけです。同じタイプの上と下を知って初めて、自分がいま、どこにいるのかという問いが立ちます。その問いのほうが、タイプが何番かよりずっと長く使えます。
自分のタイプの9段階は、タイプごとの地図にまとめてあります。あだ名の外側に何があるのかは、そちらで見てください。