なぜあの人と噛み合わないのか
フィルターの形が違う
エニアグラムで自分のタイプがわかると、「自分にはこういう偏りがあるんだな」と見えてくる。これだけでもかなりの収穫です。
でも、ここで見落としがちなことがある。相手にも相手のフィルターがある、ということ。相手もまた、自分のフィルター越しにこちらを見ている。こちらの言葉を、こちらの意図とは違う意味で受け取っている可能性がある。
噛み合わないのは、どちらかが間違っているのではなく、フィルターの形が違う。それだけのことです。
たとえば会議で同じ発言を聞いたとき
タイプ8に囚われている場合、「これは力関係の話か?」「誰がイニシアチブを取っているか?」で処理しやすい傾向がある。
タイプ2に囚われている場合、「この人は私を必要としているか?」「困っている人はいないか?」で処理しやすい傾向がある。
同じ場面、同じ発言。でも拾い上げるものが違う。どちらも「見えている通り」が現実で、どちらも正しい。ただし、どちらも部分的です。
そしてここが面白いところなのですが、どちらも自分のフィルターが「普通」だと思っている。フィルターは自覚しにくい。だからこそ、相手の反応が「おかしい」に見える。でも相手の側から見れば、こちらの反応が「おかしい」。お互い様です。
「正しさ」は9通りある
フィルターの違いが最も厄介な形で現れるのが、「正しさ」の判断です。
囚われが出ているとき、各タイプにとっての「正しい」の意味がそもそも違う。
| タイプ | 囚われ時の「正しい」の意味合い |
|---|---|
| タイプ1 | 基準に照らして間違いがないこと |
| タイプ2 | 人のためになっていること |
| タイプ3 | 成果が出ていること |
| タイプ4 | 本質的で偽りがないこと |
| タイプ5 | 論理的に整合していること |
| タイプ6 | 安全で信頼に足ること |
| タイプ7 | 可能性が広がっていること |
| タイプ8 | 本質を突いていること |
| タイプ9 | みんなが納得していること |
「正しいのに伝わらない」の正体は、ここにある。自分にとっての正しさで押している。でも、相手には別の「正しさ」がある。
たとえば、タイプ1が「ルール通りにやるべきだ」と主張する。タイプ7は「もっと柔軟にやったほうがいい結果が出る」と返す。どちらも嘘はついていない。でも正しさの軸がずれている。ルールの正しさと、可能性の正しさ。同じ「正しい」という言葉が、別の意味で使われている。
自分の「正しさ」で他者を裁いたとき、相手の「正しさ」が見えなくなる。これがフィルターの厄介なところです。そして多くの場合、噛み合わないまま「あの人は話が通じない」で終わる。
「わかり合えない」はゴールではない
ここまで読むと、「結局わかり合えないのか」と思うかもしれない。9通りの正しさがあって、フィルターも違って、それぞれ自分が普通だと思っている。なんだか手詰まりに見える。
でもこの話は、絶望の話ではなく、地図の話です。
フィルターの形が違うことが見えるようになれば、「あの人の反応は、あの人のフィルターから来ているんだな」と読める。読めると、イライラが減る。「間違っている」が「違う形で見ている」に変わるからです。
「間違っている人を正す」のと「違う形で見ている人の視点を理解する」のでは、関わり方がまるで変わる。前者はぶつかる。後者は、少なくとも相手の世界が想像できる。
ここで出てくるのが、インテグラル理論の考え方です。
世界には事実(真)だけでなく、関係性(善)と、主観的な意味(美)がある。インテグラル理論ではこれを「真善美」の3つの領域として扱います。
たとえば、データを並べて正論を述べる。事実としては正しい。でもそれだけで人が動くかというと、そうでもない。関係性の中での信頼(善)や、本人にとっての意味(美)が伴っていなければ、正しさは空回りする。
事実で押しても、善と美が抜けていれば伝わらない。逆に、関係性だけで押しても、事実と意味が抜けていれば浅くなる。この3つのレンズで見ること。それが「複眼」の一つの意味です。
そしてさらに、同じタイプでも「発達段階」や「健全度」で見え方がまるで違う。同じフィルターを持っていても、その使い方が変わる。囚われに飲まれているときと、囚われを自覚して距離を取れているときとでは、出てくる反応が別物になる。タイプを知っただけでは見えなかった奥行きが、ここに広がっている。
噛み合わない原因は一つではない。フィルターの形、正しさの種類、真善美のバランス、発達の段階。いくつもの層が重なって、人と人の間に「ズレ」が生まれている。
でも、層が見えれば、扱える。見えないまま「合わない」で終わるのと、構造がわかった上で「ここがズレている」と読めるのとでは、まるで違います。