トップ複眼道場について複眼道場における「成長」とは

複眼道場

複眼道場における「成長」とは

直すのではなく、含んで超える
「成長したい」という言葉は、よく使われる割に中身がぼんやりしている。何が増えれば成長で、何を手放せば成長なのか。人によって指しているものが違う。この記事では、複眼道場が「成長」と呼んでいるものを、3つの柱で整理する。

1. 水平ではなく「垂直」のほう

成人発達理論では、大人の成長を水平的成長垂直的成長の2種類に分ける。知識やスキルが増えていく水平と、見える景色そのものが変わる垂直。どちらも大事なのだが、「勉強しているのに人生があまり変わらない」が起きるときは、たいてい水平ばかりを走り続けている。

複眼道場が目指しているのは、垂直のほう。エニアグラムやインテグラル理論の用語を覚えること自体は水平だが、それを通じて見える世界の解像度が一段上がることのほうに重心を置いている。この2種類の違い、そして垂直がなぜ難しいのかは、以下の記事で詳しく書いている。

2. 「直す」ではなく「含んで超える」

自分のパターンや囚われを知ったとき、多くの人が反射的に思うことがある。「このパターンを直したい」「この囚われを克服したい」。この反応は自然なのだが、複眼道場はこの方向を取らない。

インテグラル理論には「超えて含む(Transcend and Include)」という原理がある。段階が上がるとき、前の段階を否定するのではなく、含んだ上で新しい視座を足す、という考え方。タイプ8の「力」は消さずに、その使い方を広げる。タイプ4の「感情の繊細さ」は捨てずに、その扱い方を広げる。直そうとすると、消えるどころか、抑圧されて別の場所で噴き出すことがある。

方向は「直す」ではなく「含む」。何を手放すかではなく、何を手放さないかを決める原理。

だから複眼道場では「克服」「矯正」「直す」の語彙を使わない方針にしている。そのかわりに「含んで超える」「稽古する」と呼んでいる。この原理の詳細は以下の記事に置いてある。

3. 到達点は「使うか/使わないかを、自分で選べる」

では、何ができるようになることを成長と呼ぶのか。複眼道場ではこれを「パターンを、使うか/使わないかを、自分で選べるようになること」と置いている。

囚われているときのタイプ1がやりがちな「正しさの基準で周りを測る」という反応が、今日は自動で出るのではなく、自分で握ったスイッチで出す/出さないを選べる。囚われているときのタイプ7がやりがちな「次の刺激に手が伸びる」が、衝動ではなく選択として動く。パターンは敵ではなく、道具。降ろしておくことも、持ち上げて使うこともできる。

この「選べる」の一歩手前に、もっと根本的な前提がある。「気づく」ことだ。自動で起きていた反応に、ほんの一瞬、気づく。気づけなければ、選ぶ土台が作られない。そしてこの「気づき」は、知識を入れたら翌日できる種類のものではない。自分の囚われは「自分にとっての普通」なので、内側から見えにくい。年単位の熟成の先に、ある日ふと薄く見え始めるもの、と思っておくほうがいい。

4. 即効はない。だから「稽古」と呼ぶ

この3つの柱を通して見ると、複眼道場が「講座」ではなく「道場」「稽古」と名乗っている理由が見えてくる。講座は「受けたら終わる」が、稽古は「ずっと続ける」もの。垂直的成長も、含んで超えるも、自分のパターンに気づくことも、「今日受講して明日使える」の速さでは起きない。

だからこの道場には、攻略本・ハック・必勝法の類を置いていない。そのかわりに、道具(エニアグラム・インテグラル・AI)と、それを使う時間と、同じ方向を向いて稽古する人たちがいる。即効性で切れば物足りなく見えるかもしれないが、見える景色を変えるための足場としては、これが一番確かだと考えている。

最後に

「成長」という言葉を使うと、それだけで前向きで健全なことのように響く。でも中身を開けてみると、「直す」「克服する」「もっと頑張る」という水平の筋肉を鍛え続けていることが多い。複眼道場では、その筋肉を否定しない代わりに、別の種類の筋肉も育てていく。

水平ではなく垂直。直すのではなく含んで超える。自動反応ではなく、自分で握ったスイッチで動かす。この3つが、複眼道場における「成長」の骨格です。

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